地     区 S53年 S53年シェア H.13年 増減(−) H13年シェア
 横  浜  市 104,602 100% 117,000 12,198 100%
 神 奈 川 区 9,947 市の9.5% 9,304 −643 市の8%
 区内臨海部 1,837 区の18% 1,673 -164 区の18%
『検証ー臨海部産業の変容』


 1.臨海部産業の概観
    先ず臨海部の産業全般から見ましょう。
   (第1表) 臨海部事業所数 (従業員数は統計不備のため採用しません。)
第1表で見ますと、事業所数では平成13年時点では横浜市全体で昭和53年より1万2千人あまり増加して
いますが、神奈川区で見ますと昭和53年より643事業所が減り横浜市に占めるシェアも9.5%から8%に
低下しています。 さらに区内臨海部の26ヵ町で見ますと、昭和53年は164の事業所が減少しました。 
 区に占めるシェアは18%と昭和53年時点と変わらず堅調さを維持していますが、現状改善のために新た
なてだてを期待したいものです。
業     種 S53年 H13年 増減(−) 業     種  S53年 H13年 増減(−)
農  林  業 −3 商業飲食店 165 785 620
鉱     業 97 −96 金融保険業 160 25 -135
建  設  業 186 137 −49 不 動 産 業 2 70 68
製  造  業 978 111 −867 サ−ビス業 309 402 93
E G W 業 12 −11 公務その他 10 5 -5
運輸通信業 15 138 121 合    計 1,937 1,673 -264
 [注] (1). EGW業は電気・ガス・水道    (2). 26ヵ町は、青木町、出田町、大野町、入江1・2丁目、
         浦島町、恵比須町、神奈川1・2丁目、神奈川本町、亀住町、金港町、幸ヶ谷、栄町、
         新浦島町、新子安1・2丁目、新町、宝町、千若町、橋本町、東神奈川1・2丁目、星野町、
         守屋町、山内町

                                            (平成13年度横浜市経済局資料)
 <農 林 漁 業>   のちに漁業について触れることにします。

 <鉱     業>  鉱業(関連事業)の激減は生活や産業エネルギ−の変化とあいまって特に、石炭およ
             び同製品需要の急速な衰退を裏付けています。

 <建  設  業>   昭和50年代には上述のとおり大規模な港湾埋め立て、工場移転跡地への大規模研究
             開発機能の誘致や旺盛な宅地開発需要をうけて建設業は増大しましたが、近年公共事
             業の引き締めから個人、法人需要ウエイトが置かれています。

 <製  造  業>   さきに見てまいりましたように、製造業とくに横浜のような大都市での法的な規制による
             工場立地の抑制を一身に受け不本意ながら廃業、域外移転や国際競争力維持のため
             海外に活路を求めた企業が少なからず見られたことを窺わせています。造船業について
             は後に簡単にふれます。

 <E G W 業>   この業種は都市のインフラ整備と直接関わりがあり、その点で建設業の動きとの関連
             で捉えることができます。

 <運輸通信業>   この業種はなんといっても道路、港湾、流通基地等の整備と深い関連性をもつ業種です
             ので、ベイブリッジを含む湾岸道路、港湾機能の拡大や宅配事業の新規参入などが裨益
             していると考えられます。

 <商業飲食店>   横浜市の統計では卸売業、小売業に分かれ、それに飲食店が併記されていますが、今
             回は卸と小売を商業としました。神奈川区はもとより横浜の大きな小売商業の集積地と
             いえば多少かげりが見えるとは言え六角橋、大口地域であり、卸売業では横浜市中央
             卸売市場のある山内町・栄町周辺ということになりますが、今回は臨海部に視点を絞っ
             たため個別の地域事情には触れません。商業・飲食店はもともと動き(変化)が早い業種
             だとされていますが、昭和53年には160事業所程度であったものが、ポ−トサイド地域
             新浦島地域での旧工場跡地でのマンション等の増加を受けたかたちで平成13年には
             785事業所と急増しています。

 <金融保険業>   この業種も激減した業種といえるでしょう。近年この業種は離合集散を繰り返しながら、
             規模の拡大と集約化が進み今日にいたっていますので事業所はその流れで減少してい
             るといえます。
と指摘していますが、こうした背景のもと昭和50年代には大黒町、扇島、根岸湾、本牧埠頭、金沢地先など
の埋め立てや戸塚工業団地、瀬谷卸売りセンタ−などの造成が行われ、製造業、運輸業や卸売り業の多く
がこうした域外へ移転したのです。


さらに、市経済局は昭和60年代以降について「経済のグロ−バル化の
進展やアジア経済成長を背景として、国内企業も海外展開やリストラなど大きな転換期を迎え、生産機能の
集約、操業停止、工場移転などの動きの中で大規模な未利用・遊休地が顕在化した。」と指摘しています。


近年それらの跡地に大規模集合住宅群が集中し始めています。こうした状況に中でかっての量産型工業は、
高付加価値製品の製造、多種少量生産の対応や研究開発型へと機能転換を余儀なくされて行き今日に至
っているのです。


   (第2表) 業種別事業所数
 第2表から業種別事業所数の変化に触れてみましょう。
それにしてもこの20年間で神奈川区内の事業所の減少度が
強烈だったことが窺い知れます。 神奈川区内の事業所がか
くも大きく減少したのは何故か、当時の横浜市経済局の資料
は次のように裏付けています。


即ち、古くは昭和30年代後半
からとして「京浜臨海部への工場集積、人口集中が大都市の
地価高騰、工業用水不足、交通混雑、公害の発生などの問
題を生みました。そこで、工場の大都市集中を規制し、地方
への分散を促すとともに、公害発生の規制や工場の環境施
設の整備などにかかる工場三法や公害防止関係の法が制
定されました。この結果、工場施設、設備の更新が困難にな
るなど、地域企業の成長力に陰りをおとし始めた時期。」
 <不 動 産 業>   昭和50年代までの市内での区画整理事業と
             臨海部の急速な開発にともない、今なお県外
             市外からの移住移転が進んでおり、大都市圏
             での人口減少傾向のなかにあって、横浜は
             増加しています。不動産業はこうした状況の
             中でその数を増やしつつ、単に不動産仲介の
             みならず個人や法人の資産管理など重要な
             業務を展開しています。

 <サ−ビス業>  都市の拡大は人・物・金の集積を呼ぶと同時
             に情報の活性化を生み、個人生活や企業活
             動でのITを媒体としたサ−ビスも重要さを帯
             びてまいり、今後もサ−ビス業は都市の活性
             化を支える主力産業として、表情を変えなが
             ら続伸するといえます。
 以上臨海部の産業について足早にみてきました。こうした状況の中で神奈川区は将来の臨海部をどのよう
に考えているのか、「神奈川区まちづくりプラン」を見ていくことにしましょう。


この「プラン」では、まず将来都市像のポイントに都市の構成と連携をあげ、《「臨海部」、「内陸部」、「丘陵部」
で各地域の特性を活かしたまちづくりを進めます。これにあわせて地域が相互に連携し、一体制を確保するこ
とにより、神奈川区をより深みのあるまちとしていきます。このため、「臨海部」、「内陸部」、「丘陵部」のそれ
ぞれのむすびつきを強化するため国道1号線など南北方向の軸に加え、これを補完する東西方向の交通の
円滑化を検討します。》としたうえで臨海部について「産業の拠点として、操業環境の保全を図るとともに、新
たな産業の集積を図ります。


また既存の市街地と隣接している地域では業務・商業・研究開発などの複合的な土地利用を図ります。また
、木造住宅が密集している地域などでは、災害に強いまちづくりを目指します。さらに、水際線を活かしたレク
リエ−ション空間の創造を促し、区民の憩いの場の確保を図ります。」との考えを示しております。


つまり、このプランでは「効率がよく、付加価値の高い、しかも安全で安心して憩うことのできる夢の都市像」
を描いていますが、もう少し近未来が描けるプランを期待することは無理なのでしょうか。


この点を補足するように、平成16年に横浜都市整備局と港湾局が臨海部を絞り込んで計画した「東神奈川
臨海部周辺地域再整備計画」(ゆめはま2010プラン・神奈川区まちづくりプランを含む諸計画・資料が土台)
では臨海部の「整備プログラム」
 (第3表) 東神奈川臨海部周辺地域再整備計画
事      業      名 事 業 主 体 整 備 期 間
横浜上麻生線未整備区間の整備 (鉄道アンダ−パス区間) 横浜市 H21年過ぎ〜30年
東神奈川線の整備 (東神奈川駅地下道路拡充) 横浜市 H21年〜30年
臨港幹線道路整備事業 (うち山内〜瑞穂区間) 横浜市 〜H21年〜30年
新浦島橋架け替え 横浜市 〜H20年
神奈川みなと道歩行者環境整備
 (東神奈川周辺〜臨海部) (新町〜ミルクプラント跡地)
国・市
民間
〜H25年
神奈川新町駅バリアフリ-化 民間 H18年〜25年
山内埠頭周辺土地区画整備 (旧浅野ドック跡地中心) 民間 〜H20年
山内埠頭地先埋め立て整備 (港湾緑地・関連施設)  横浜市 H21年〜30年
ミルクプラント跡地整備 (浦島公園拡充整備等) 横浜市 〜H20年
子安通・浦島地区いえ・みち・まち改善事業 市・民間 〜H30年
として、第3表のように整備時期を短期(H20年)、中期(H21〜25年)及び長期(H25年〜30年)に分けて
事業化(主なもの)を図っていますので、参考までにご参照ください。






2.造船業の衰退
  (第4表) 地域別事情 (昭和42年12月31日現在 参考:日本造船工業会資料)
項目 地 域 別 事業所数 従業員数 大型鋼船 鋼船建造 鋼船修理 木船建造 木船修理
橋 本 町
星 野 町


244





守 屋 町
子 安 町
小 安 町

11
143
182








大 野 町
金 港 町
栄   町


27
147
33






神奈川通 1 20
合  計 27 895 10
 「注」 1. 橋本町の旧日本鋼管浅野と鶴見2事業所で従業員5,975人です。
     2. 1事業所に重複業態があり合計と一致しません。
     3. 「大型鋼船」は500t以上、その他は500t以下の小型船です。
     4. 小安町は資料をそのまま記載しました。



 神奈川臨海部の造船業は自動車製造と並んで輸送用機械産業を代表し、重厚長大産業そのものとして、
長く日本産業は言うに及ばず京浜・神奈川の臨海部に君臨した産業といえます。昭和42年の日本造船工業
会の数字では、当時は500トンを越える大型船の建造、500トン以下の木造船、鋼船建造、修繕部門の造
船所合わせて27事業所、従業員数895人(但し、旧日本鋼管・浅野ドックは同鶴見造船所と合わせた従業
員数総計5,957人)でした。この時期日本の造船界は世界に冠たる地位を占め、まさに追い風にたっていま
した。


 しかし、前にも触れたように、やがて港湾整備計画、都市整備計画等による臨海部の埋め立て、工場3法な
どによる操業環境の変化、更には船舶の鋼船化・大型化が進み休廃業を余儀なくされた事業所や域外・海外
への移転が相次ぎ、しかも小型船(5〜7トン)にあっては鋼材船体からFRP樹脂船体へとの新しい建造方法
へ移行し、必ずしも臨海部に事業所を構える必要なくなってしまい、現在では専ら船舶を修理する数事業所を
残すだけになっています。






3.漁業の変貌

 言うまでもなく、神奈川臨海部の産業誕生の足場となった漁村(漁業)が失はれ、その来歴すら定かでない
今なればこそ、ますます興味の深いものとして記述に値するのではないかと考えました。(下図参照)                                

  
  


  埋め立てによる横浜港海岸線の変化
   点線は明治初期の海岸線
   実線は大正時代までに埋め立てされた海岸線
  黒塗り部分は昭和以降の埋立地
 神奈川の漁業は、徳川家康が江戸城に入る300年も前の弘安6年(1284年)、当時砂浜あり、松原あり、
浅瀬が広がる風光明媚な子安浜から今の金港、大野、山内の沖合い一里以内で、釣り業が行われ、沿岸砂浜
では地引網が行われていたのが始まりだとされています。


 江戸初期の江戸湾の領域は今日の横須賀市走水から千葉県富津市にいたる沿岸とされ、西44ヵ浦(走水〜
芝品川)、東40ヵ浦(東京〜富津)があり、そのうち神奈川の領域は神奈川浦と新宿浦(旧橘樹郡子安村新宿)
があったようです。


 天正18年(1591年)家康が江戸城へ移封した頃には領主から魚の注文があったとされています。
当時の漁法は、白魚漁、四つ手網、さで網、刺し網、立ち網が盛んで、天正20年に至る頃までは江戸湾で捕鯨
も行われていたようです。子安浜では、車えび、芝えび、蟹、えぼ鯛、赤貝、シャコ、鮮魚などの魚貝類の水揚げ
を主としていました。


 神奈川から品川に至る8ヵ浦のうちの生麦浦、新宿浦、神奈川浦の漁師がそれまで得ていた幕府からの一定
海域漁場への入漁権などの特権が、明治に入り専用漁業権に変わり昭和時代には区画を伴う共同漁業権へと
変化しました。


 この間、明治37年頃守屋比助が子安浜地先埋め立てを計画し、大正元年に現在の守屋町1〜4丁目が誕生
し、その後大正5年頃浅野総一郎の下で大野町、恵比須町、宝町の35万坪の埋め立て計画が始まり、昭和
初期に竣工されました。


 戦後、急激な産業の発展により、臨海地帯の埋め立て造成が急激に進み海流の変化に合わせるかのように
浚渫工事、海洋汚濁、水質汚染が広がり、この地域の漁業は急速に衰退し、昭和46年には明治以来の漁業権
と底引き網漁業許可を神奈川県に返還して、神奈川臨海部漁業の核心をなしてきた子安浜漁業は500年の
歴史に終焉を告げ相前後して周辺漁業もその幕を閉じていきました。


今日、屋形船、釣り船などが舳先を並べている風景を見るとき、どちらかと言えば海の新しいサ−ビス業に衣替
えしているということになるでしょう。




      以上、調査活動・編集委員 : 片山 委員 ・・・・・・ 神奈川自治連合会
                        : 神田 委員 ・・・・・・ 神奈川区消費生活推進委員
                        : 平澤 委員 ・・・・・・ 一般公募