(3) 庚申塔(造立 : 1690〜1782年)
      路傍にたたずむ石仏の中で最も一般的なのが庚申塔である。庚申とは暦の庚(かのえ)と申(さる)が結びついたもので60日
      ごとに回ってくる日や年のこと、人間の体には三戸(さんし)という三匹の虫が いて日夜絶え間なく人の行動を見続けている。
      庚申の夜、人が深い眠りにつくと体から抜け出し、天に昇り天帝にその人の行状や悪事を報告する。天帝はこれによってその
      人の寿命を縮めるので、人々は虫が体から抜け出さないよう、庚申の夜は眠らずに身を謹んで過ごした。
   
         ※ 羽沢には6ヵ所に庚申塔がある。
            ○ 羽沢町1695番地
            ○ 羽沢町1352番地
            ○ 羽沢町1400番地
            ○ 羽沢町1262番地
            ○ 羽沢町 774番地
            ○ 羽沢町 908番地
       
     庚  申  塔
  (6) 富士塚
       ※ 横浜駅西口より市営バス44,83系統羽沢団地前下車徒歩1分
      戦国時代(約 500 年前)ごろから富士山への信仰が高まり各地で信者の団体である富士浅間講が作られ、白装束に鈴を鳴
      らし「六根清浄」と唱えながら富士山に参拝した。しかし当時の交通事情では毎年参拝できないため、人造富士として富士塚
      をつくり、それに登り富士山の遥拝式を行うようになった。羽沢の富士塚はいつ出来たかは不明であるが、おおよそ 200年以
      上前にに作られたものと推定される。
                      富   士   塚                   仙現大菩薩 同行と刻まれている。

  供養塔

   

  (7) 馬頭観音(造立 : 1855年)
       ※ 横浜駅西口よりバス44,83系統羽沢団地前下車1分
      頭上に馬頭の宝冠をいただき忿怒(ふんぬ)の相をなした観世音菩薩。馬頭は天輪王の宝馬四方の敵を馳駆するように一切
      の魔・煩悩を摧状することをあらわすと言う。馬の保護神として、江戸時代に広く信仰された。馬は、村にそして農民にとっては
      高い財産」であった。
        馬 頭 観 音 像

  
  (8) 石塔・おしゃもじさま(造立 : 1806年)
        ※横浜駅西口より市営バス44系統羽沢町下車徒歩1分
      おしゃもじ(杓文字)さま?ちょっと変わった呼び名、なんだろう。古老にそのいわれを聞いた。“昔、子供に百日咳の病気が流行
      した頃、子供を背負い歩いて今の平沼橋付近?にあった祈祷師に百日咳にかからないように拝み、お祓いを受けた。その時ゃ
      もじを2本いただいた。そのしゃもじには、子供の名前と経文が書かれていた。それを家に持ち帰り、1本は家の入り口(玄関)の
      上に掛け百日咳の病気が家に入らないように、とのおまじないに、もう1本はこの石塔に奉納した。昔は子供が多かったので、
      5〜6本は入り口にあった”とはなす。
      おしゃもじさま


  (9) 廣巌山成願院 東泉寺 (高野山 真言宗) 武南寅薬師2番霊場
       ※横浜駅西口より市営バス44,83系統東泉寺前下車すぐ
      沿革 : 寺伝えによれば、開山は「賢継」と言い、寛政6年(1465年)4月20日示寂したと言う。また、『新編武蔵風土記稿』には
          「開山ヲ継円ト云。示寂セシ年代ハ其伝ヘ失ヒタレド、第5世ノ住僧ノ寂年ヲ寛永年中トイエバ開山ノ時代モ旧キコト知ベ
          シ」とあって、本寺三会寺の隠居寺と思われるが明治初年の火災によって全てを焼失したため定かな沿革を知ることが
          できない。
      本尊 : 薬師如来立像 像高28cm厨子入 伝行基作 脇侍、日光・月光菩薩
      宝物 : 阿弥陀三尊・不動明王像・祖師坐像・地蔵尊(半跏像)
     山門より鐘楼を望む         東  泉  寺           本     堂

  (10) 昭光山平本院 清蓮寺 (高野山 真言宗)
         ※ 横浜駅西口より相鉄バス浜7系統青蓮寺下車徒歩3分
      沿革 : 開山、開基は不詳。当寺明細帳には、開山を祐秀上人 慶長4年(1559年)2月10日寂とあったと言い過去帳には「開
           山法印隆全永正元年(1504年)創立、同12年入寂、鳥山三会寺九代目也」と言う。『新編武蔵風土記』には「開基ハ、
           村ノ里喜兵衛ガ先祖ナリ。法号ヲ平本院と云、卒年ヲ伝ヘズ。彼ガ氏ヲ平本ト云。故ニソレオ法号トシ、亦寺ノ院号ニ
           モ用ヒシトナリ。開山ノ僧及年暦ヲ伝ヘズ」とある。当寺は無住が多く、本寺三会寺が殆ど兼務していた。
           昭和2年入山した伊藤照道が住時して以来、漸く一寺の体裁を整えるに至った。
      本尊:: 如意臨観世音菩薩坐像 円光光背。
      宝物 : 大日如来像・弘法大師像・薬師如来坐像・不動明王立像・釈迦如来坐像・十三仏尊像・涅槃釈迦坐像
        
  (11) 釈迦堂 (日蓮宗・幸ヶ谷浄滝寺の管理)
        ※ 横浜駅西口より市営バス83系統
        ※ 新横浜駅前より市営バス129系統釈迦堂前下車徒歩5分
       沿革 : 明治後期から高島嘉右衛門の番頭を勤めていた餅田家
            の家墓のような存在になったが、墓地としては江戸中期
            ごろからあった。
       本尊 : 日蓮上人の祖師像と釈迦如来・多宝如来が安置してあ
            るが、荒廃した姿が感じられる。
     釈迦堂
  (12) 聖天山不動院 良正寺 (真言宗・大覚寺派)
        ※ 新横浜駅より市営バス121系統羽沢貨物駅下車徒歩3分
      沿革 : 開基である金子良正は、京都嵯峨大覚寺にて剃り髪得度し修行を重ね、本籍地である現住所に仮堂を建立、昭和48
           年4月4日寺号公称をえたものである。
      本尊 : 不動明王立像 火焔光背、岩台座



  (13) 十ニ天社 (造立 : 1822年)
        ※ 横浜駅西口より相鉄バス浜7系統坂下下車徒歩3分
      十ニの護世天。四方・四維の八天に上・下のニ天・及び日・月のニ天を加えたもの。
      東[帝釈天] ・東南[火天] ・南[焔魔天] ・西南[羅刹天] ・西[水天] ・西北[風天] ・北[毘沙門天]  ・東北[伊舎那天]
      上[梵天] ・下[地天] ・日天・月天の仏を祀った石塔



  (14) 長屋門 (建築推定年代は江戸末期の1840年代)
        ※ 横浜駅西口より相鉄バス7系統青蓮寺下車5分
       長屋門とは門の両側に長屋を付けた形を言う。江戸時代に門として作られ、下級武士が住んでいた。この形式が農家に取り
       入れられたのは、門番や作人を住まわせ納屋として使われやすいからと思う。農村には長屋門が建てるのを許されたのは、
       江戸時代である。
       横浜の場合、名主階級の家柄で一般農家では建てることが出来なかった。屋敷は母屋の後ろに山があり、まわりを林で囲
       んでいる場合が多く、門は母屋の正面で道路に面する位置に建てられ、非常に目立つ存在である。



2. 菅田町
   
◎ 古くは武州橘樹郡下菅田村と呼ばれていた。昭和2年4月1日の横浜市編入の際、神奈川区菅田町となる。この地区は用水の
      便が悪かったため、水田には適さず畑作が中心の農村であった。江戸時代から、庚申信仰が盛んであったため地区内には相
      当数の庚申塚が残されている。



  (1) 道祖神
       ※ 横浜駅西口より市営バス36,81系統菅田町入り口下車徒歩1分
      菅田町入り口バス停から鴨居方面に約100m行った左側に男女ニ神の道祖神が祀ってある。安永己亥8月吉日(1779)大願
      成就 下菅田村 金子おふじ と刻まれている。建立者が女子で、しかも大願成就とあるのが注目される。どんなことが大願成
      就したのか、或いは成就させようとしたのかは判らないが、男神にぴったり寄り添い口元に袖をあて恥じらいを見せる女神の
      姿は江戸時代の女性の姿を浮き彫りにしている感がある。      
      道祖神は塞(さえ)の神ともいわれ、幸の神、歳の神などと
      記されているところもある。また道陸神(どうろくじん)とも
      道六神とも言う。いろいろな名称があるが「さえ」とはさえぎ
      るの意で、悪霊などが入り込まないように防ぐために祀ら
      れる神が、本来の道祖神である。多くは、道路の辻、村境
      峠、などに奉祀され、外来の邪魔なものをさえぎる神とされ
      ている
    道  祖  神

  (2) 熊野山 最勝寺(高野山 真言宗)
       ※ 横浜駅西口より市営バス36,81系統菅田町入り口下車徒歩5分
          鳥山三会寺末。小机三十三番霊場の三番目の札所である。
      沿革 : 当時明細帳に開山は興覚法印。 寛政10年(1469年)8月10日示寂とある。室町幕府の時代にすでに当寺は開山して
           いたことになる。
      本尊 : 薬師如来坐像
      宝物 : 聖観世音菩薩立像、地蔵立像 
       最  勝  寺 
  
  (3) 富士塚
       ※ 横浜駅西口より市営バス36,81系統菅田町入り口下車徒歩5分
      最勝寺の左手に小高い丘がある。土地の人はこれを富士塚と呼んでいる。塚の中腹には小祠があり富士浅間大菩薩を祀って
      いる。毎年6月1日には近郊の信者が、富士参りの杖をひき、白衣姿で鈴を鳴らしながらお参りをする。塚全体を不富士山にみ
      たて、九十九折りの急坂を登る。山の一合目にあたる場所には一之嶽と刻んだ碑があり、順に九之嶽までつづいている。
      富士を拝することのできる頂上には坐像の石仏が鎮座している。
       富  士  塚
  (4) 熊之堂
      熊之堂付近については小机駅前の雲松院に古文書が残されている。それによると、享禄2年(1529)小机城代、笠原越前の守
      信為が熊之堂5貫文の地を「早雲寺殿御茶湯分」として、永代雲松院に寄進するとあり、信為は寄進にあたって「代官の事は、
      沼上藤右衛門に申し付け候、何時も寺家より御催促あるべく候」といっている。沼上は多分この土地の士豪で、名目は代官で
      もj実際は信為が支配していたと考えられる。この熊の堂は、4年前に取り壊され、バス停になをのこすのみとなったが本尊は最
      勝寺の右手にある神社に合祀されている。
     
     本    殿

  浅間・熊之・須賀神社

     熊之堂跡地


  
  
  (5) 将軍地蔵 (所在地は鳥山町 : 昭和14年4月1日神奈川区より港北区へ)
       ※ 横浜駅西口より市営バス36,81系統神明社入り口下車徒歩5分
      バス停「神明社入り口」から鳥山池を経て小机にいたる道の脇に、将軍地蔵堂がある。新編武蔵風土記稿の鳥山村の条項に
      「鳥山村は、昔佐々木四郎左衛門尉高綱が馬飼料として、当所を右大将頼朝より賜りし時、一族鳥山左衛門と言うものを目代
      として此地に置きしより起これる村名なりと言う」とあり、高綱が馬飼料として、鎌倉殿より賜った鳥山の地に将軍地蔵堂を建立
      し、祀ったと思われる。同じ鳥山町にある三会寺は頼朝が創建したもので、寺内の弥勒堂ハ佐々木高綱が奉行となって建立
      したと記録されていることからも鳥山と高綱の関係は深かったわけである。
   将 軍 地 蔵
※ 持ち主は遠くに引っ越してしま
   いお堂は鍵がかかったままに
   なっている。
  
  (6) 松澤山一向院 専称寺 (浄土宗)
       ※ 横浜駅西口より市営バス36系統ひまわり団地前下車徒歩8分
      沿革 : 当寺の開山、開基の時期についてははっきりしていないが、開山の明誉上人の位碑には元和2年(1612年)とあるこ
           とから江戸時代の初期に開かれたであろうと推測される。本堂は江戸時代後期に再建されている。
      本尊 : 阿弥陀如来立像 脇仏として勢至観音菩薩像 観音堂に如意輪観音坐像
    山   門


     本    堂


   子育て地蔵



  (7) 正寿山 長導寺 (日蓮宗 池上本門寺末)
       ※ 横浜駅西口より市営バス36,81系統長導寺前下車徒歩5分
      沿革 : 慶長3年(1598年)の草創。小机本法寺の第七世真浄院日潤聖人の開山。開基は菅田の豪士鈴木與兵衛(法名日勝)
           が深く日潤に帰依し、今の地に庵室を建て師の隠棲の地とした。寛永2年(1625年)寺号を越後の国より移して一寺と
           なし本門寺に属した。
      仏像 : 日蓮上人坐像 他に日郎上人坐像、十羅刹女像及び毘沙門天像、大黒天立像など多数あり。
      当寺本堂には「陣格天井画」(花弁、名書絵)136面、及び狩野義久筆の「花鳥図杉戸」24面、涅槃図一幅がある。
       長  導  寺



  (8) 神明社
       ※ 横浜駅西口より市営バス36,81系統神明社入り口下車徒歩10分
      当社の由緒は明らかでなく、新編武蔵風土記稿によれば、小名十三塚にあり鎮座村の鎮守なり、社一間半の二間、巽に向う。
      とあり、当社が何時の頃か十三塚より事がこの記載から知れる。当社は、最勝寺持ちであったが、明治6年に村社に列せに神
      饌幣帛料供進社に指定されている。当社の祭り神は天照大神。
     神明社正面より
     舞    殿



  (9) 杉山神社 
       ※ 横浜駅西口より市営バス36系統ひまわり団地前下車徒歩1分
      杉山神社は神社明細帳に享保17年(1773年)壬子年十二月に創建とあるが詳しい事はわかっていません。石段の途中に「天
      保(1832年)三壬辰八月吉祥日」と刻まれた鳥居があり、さらに登ると昭和45年に建てられた合祀記念碑があります。
      本殿、拝殿は明治43年に改築された。祭神は「五十猛命」(いそだけのみこと)祭礼は毎年9月28日に行われている。
   本    殿

   本殿・拝殿

 階段途中の鳥居

丘陵地域の歴史探訪


 神奈川区を3区分した地域のうち丘陵地域と言われる羽沢町菅田町三枚町の歴史的背景を調べてみた。

1. 羽沢町
   ◎古くは武州橘樹郡羽澤村といい、明治22年の市町村制施行の際橘樹郡小机村大字羽澤となり、明治25年に橘樹郡城郷村大
     字羽澤と改称、昭和2年4月1日の横浜市編入の際、神奈川区羽澤となる。
  (1) 神明社
       ※ 横浜駅西口より市営バス44,83系統羽沢団地前下車徒歩2分
     由緒は不詳。延宝年中(1673〜1681)酒井河内守が当所を所領した
     時、社地を免除したという。維新前は東泉寺と青連寺が別当をしていた。
     明治6年村社に列せられ、大正5年12月、村内の「聖天の杉山神社」
     「貝行の蔵王権現」「羽沢の熊野神社」 「綿打の杉山神社」の4社を
     合祀した。
  (2) 道祖神(造立 : 1772〜1818年)
      村の境や辻、峠にあり村に外敵や病魔の進入を防いでくれる神である。塞の神、道陸神様とも言われ、悪霊をさえぎる神様と
      して考えられてきた。男女の双体石像が多く、また、陽石「男性自身」を祀って性の神とされている。道祖神・猿田彦と文字だ
      けを石に刻み込んで立てたものもある。
        ※羽沢には4ヵ所に道祖神がある。    ○ 羽沢町1610番地    ○ 羽沢町1008番地
                                 ○ 羽沢町916番地     ○ 羽沢町795番地
      道  祖  神

  (10) 御嶽社
      御嶽社は菅田の町字出戸谷にある小さなお宮です。入り口に低い石の鳥居があり石段を登り右に折れると小さな祠がある。
      このお宮がいつ創建されたかは不明です。現在の建物は大正年間に造営されたものである。
      祭神は「日本武尊」(やまとたけるのみこと)を祀っている。
      祭礼は定められた日があるのではなく日向根の杉山社の祭礼の時に神酒を奉献するのみである。
  (11) 庚申塔
      享保3年(1718年)閏10月吉日奉造立庚
      申供養菅田村同行八人と刻まれ、日月を
      後背に合掌した青面金剛像が浮き彫りさ
      れている。
  所在地
○菅田町 766番地  ○菅田町 895番地
○菅田町 766番地  ○菅田町 774番地
○菅田町 305番地  ○菅田町1999番地
○菅田町 2313番地  ○菅田町2502番地
○菅田町 2839番地  ○菅田町2502番地
○菅田町   90番地  ○菅田町 435番地
 


  (12) 庚申・地神塔
      庚申橋を渡ったすぐ左手に庚申仏と地神塔がある。
      庚申仏は青面金剛仏で、元禄15年(1702年)建立
      のもの。菅田地区では最古のものである。並んで
      地神塔と刻された塔がある。地の神を祀る。
 
   所在地
○菅田 305番地
○菅田  90番地
○菅田 435番地
○菅田2313番地
○菅田 895番地
  (13) 飯田道
      新編武蔵風土記稿下菅田村の条に「北より一条の道を開く。三枚橋村より入り、都筑郡の内、鴨居村に貫けり。村内を経る
      こと30町、これを飯田道と言う。」「隣村小机城を或るは飯田城とも言いし故この名を得しと言えり」とある。
      おそらく鳥山町一帯につき出ている丘陵を背にし、その根に開かれたこの道が、上記でいう飯田道であると考えられる。
  


  (14) 道路の碑
        ※ 横浜駅西口より市営バス36,81系統道路碑前下車すぐ
       碑文に『港を北え距る八籵の当菅田村は、幹線道路新設を来年の
       宿願とせしが、曩小机羽沢線は横浜市失業救済事業と して昭和4
       年冬起工延長三籵余幅員八米を昭和6年春完成せり。その間
       小川道之助の尽力多大にして、郷党長に遺徳を仰ぐ。
       東西を貫く菅田鴨居線は、市会議員鈴木与市氏の献身的努力の
       結果、横浜市に於いて生産都市再建事業として、延長四籵余幅員
       八米を昭和23年7月竣工せり。工費実に壱千萬円平坦且つ距離
       短縮の二大特色により、神奈川中山間の交通上一新紀元を劃す。
       多年の要望茲に達成されて、関係市民の善悦限りなく、碑を建て
       永久の記念となすと云爾。 昭和25年 菅田代表 鈴木登久治』
       とある。
     道路の碑


  (15) その他
     ◎杉山神社下の地神塔 堅牢地神の刻あり

                   
◎三つの町にある石塔の数
            羽沢町  菅田町  三枚町
○庚申塔         6     12      2
○道祖神         5      1      
○地神塔         1      5      1
○馬頭観音          1       3      2


     ◎菅田・羽沢農業専用地区
       横浜市の農業専用地区に指定されているところ。
         (昭和47年3月31日指定、昭和58年10月5日変更)
       農業専用地区は、優良な農地を計画的に保存し、積極的に農業の振興をはかることによって、新鮮な農産物の供給を増進
       させると共に緑の環境として市民生活にうるおいを与えるものです。

         ※ 総面積 : 56.2ha  主な農産物 : キャベツ、馬鈴薯、大根、植木





3. 三枚町
  
◎ 昔は橘樹郡城郷村字三枚橋村といい、昭和2年4月1日の横浜市編入の際、神奈川区三枚町となる。三枚橋村時代は村の
     規模も小さく戸数僅かに22戸、人口も140名以下でした。
  
  (1) 観音堂
       ※ 横浜駅西口より市営バス44,83系統三枚町下車すぐ
      昔の観音堂は元禄9年(1696年頃)念仏講が、享保元年(1716年)
      に庚申塔を祀った。関東大震災にあい、観音堂も倒壊の災難にあ
      い、その後まもなく村民が基金を集め再建しました。27軒で一戸あ
      たり、1円〜15円を出して堂を建立。現在の建物は市道拡張のた
      めやむなく移転、新築再建したものである。 
  (2) 神明社
       ※ 横浜駅西口より市営バス44,82系統片倉町下車、新横浜方面へ徒歩5分
      当社の創建は詳らかではないが、新編武蔵風土記稿(文政11年)に「神明社祭神戸の丘上にあり、村民持、太平社と同日の
      例祭にて、其の日は鳥山村西蔵院来て事を処せり云々」とある。明治維新により、神仏分離後は、神奈川町熊野神社神職
      照本家代々奉仕す。明治6年村社に列せられ、大正15年11月村内の大平権現社、山王社、稲荷社を合祀す。
      昭和61年氏子崇敬者の御奉賛により、御社殿、社務所、手水舎、燈籠、社号標、参道などを新築、境内の整備を完成し、
      御神徳の御加護に奉謝するを得たものであり、三枚町全域の鎮守として崇敬されているのであります。
                                                   昭和61年6月    宮司  照本  力  謹士


      祭神 : 天照大神 (あまてらすおおみかみ)
                    さるたひこのみこと           うがのみたまのみこと
      (合祀社) 大平社 (猿 田 彦 命)、   稲荷社 (稲 蒼 魂 命)、  地神塔
                         くにとこたちのみこと   おおむなちのみこと   やまとたけるのみこと
             山王社 (日枝社 国 常 立 尊、 大 己 貴 命、 日 本 武 尊)

      例祭日 : 10月7日

     本   殿


     舞   殿


  階段下より本殿を仰ぐ




  (3) 地神塔 (造立 : 享保10年)
      神明社境内(本殿横)にあり、地神塔の脇(中央)に山王社の石塔があり上部に日枝社その下に左から大己貴命、日本武尊、
      国常立命の文字が刻られている。


  (4) 庚申塔 (造立 : 天保 5年)
       ※ 横浜駅西口より市営バス44,82系統片倉町下車徒歩3分
      神明社近くにある。二体あるが左側の方には、青面金剛像の下部側に「見ザル」「言わザル」「聞かザル」の三猿が刻まれて
      いる。この三猿は三戸になぞられて、目や口、耳をふさぐことによって悪事を天帝に告げさせないことをねらったとされている。

  (5) その他
    ◎賽の神
       ※ 新横浜駅前より市営バス129,121系統三枚町下車徒歩3分
      「さいのかみ」または「さえのかみ」とも言い悪霊などが入りこまな
      いように、路上の悪魔を防いで通行人を守るという神様。道路の辻
      村境、峠などに奉祀されている。右の写真にあるのは、以前は丸
      い大きな唯の石がおかれていたものを平成10年2月に町の篤志家
      が造立されたもので、交通事故を「路上の悪魔」になぞらえ「交通
      安全]の文字が刻まれている。



4. 郷土芸能・行事
  (1) どんど焼き
      正月の行事で小正月(1月15日)頃に行われる。前年神棚に飾って
      あった、或るは祀ってあったお札や、しめ縄、正月飾りの門松、松飾
      りなどを燃やして団子を木に刺したものを焼いて食べるのですが木
      は「ミズキ」の枝が使われています。その日が近くなると神棚に木を
      立て、その枝先に繭やキノコ、大判、小判などの形にした団子をつけ
      て飾ります。





  (2) 囃子
      祭囃子は日本の祭礼には欠かせないもので、全国的に見られます。戦中戦後に中断したところが多く憂慮されていましたが、
      近年各地で復活してきました。祭囃子は本来、山車や屋台の上で演ずる行道囃子でしたが、近年の交通事情から神楽殿な
      どで演奏する居囃子が多くなりました。楽器は、大太鼓、締太鼓、鉦、笛の5人を定数としていることから5人囃子といわれて
      います。曲目は打ち込み、屋台、鎌倉、宮鎌倉、聖天、岡崎、四丁目、国堅めなど十余曲がありますが多くはオカメ・ヒョトッコ
      の笑面踊りがつきます。お囃子にわ楽譜がありません。長い間、耳で覚え、口で伝えてきた曲の旋律の良さに感動ををおぼ
      えます。
     

  ◎菅東囃子保存会
    会長 : 法田伸一郎
    練習 : 毎週水、金曜日午後7時半〜
           (OB会会長の法田一好宅隣の稽古場)
    会員 : 小学校3年〜30歳ぐらい28名  OB会 約30名
    行事 : 獅子舞(正月)  例祭(9月最終日曜日)
          老人ホ−ム慰問(随時)  その他要請に応じて
     ※ 神田囃子の流れをくむ、始まりは昭和29年、以来
        50年間地域に根づいてきたことになる。

 
  ◎羽沢囃子保存会
    会長 : 平本 逸治
    練習 : 羽沢神明社境内 冬季を除く金曜日午後7時〜
    会員 : 中学3年〜75歳まで  13名
    行事 : 元旦祭(1月)、羽沢町神明社例大祭(9月)、西部地区ふれあい祭り(10月)
     ※ 羽沢のお囃子は明治の中頃から始められたといわれています。


    ※ この資料をまとめるにあたっては羽沢自治町会長の平本敬蔵氏に多大なるご協力を頂きました。ここに謹んでお礼申し上
       げます。氏は、40年の永きにわたり地域の歴史探訪と発掘に努め、後世に伝えるため、資料としてまとめておられます。


    以上の調査・編集委員 : 田中 委員 ・・・・・・・・ 松見連合町内会
                     東口 委員 ・・・・・・・・ 一般公募(三枚地区連合自治会)
                     高橋 委員 ・・・・・・・・ 区明るい選挙推進委員会
  (5) 硯松(すずりまつ)
       ※ 横浜駅西口より市営バス44,83系統羽沢団地前下車徒歩1分
      当時名木と言われた(硯松)も枯れてしまい、代替わりとなり、小さくなった。さて、硯松の由来ですが、あの江戸城を築いたこ
      とで有名な大田道灌が、小机城を攻める時に、この松の下で矢立ち(硯箱)を取り出し、『小机は先ず手習いの始めにていろ
      はにほへとちりぢりになる』という一句をしたため、心身ともに傷ついた兵を励ましたといわれる。(1478年頃と言われている)

硯   松

  (4) 地神塔(造立 : 1805年)
       ※ 横浜駅西口より市営バス44,83系統羽沢団地前下車徒歩1分
      地神講というものがあり、これはジジンサマをまつる講で農業を中心としている所では地神講が組まれていました。今では暮ら
      しのスタイルが変化し、無くなってしまったところもるが、農業を支えてきた信仰 として続けられてきた。信仰の対象であるジジ
      ンサマは、もともとは大乗佛典に見られる堅牢地神のことで「大地によるところの人天をすべて安楽ならしめ、ことごとくその所
      願のままに満足ならしめる神」とされている。地の神様・作神様・農民の神様とされ、人々は五穀豊穣や家内安全を祈ってきた。

地 神 塔